私は、涙を流しませんでした。
感動のシーンであったのは間違いありません。
だけど、涙は流しませんでした。
石村舞波さんも、涙を流してませんでした(目認)。
きっと。卒業とは、新たなる旅立ちなのだから。だから泣かなかったのです。
10月2日。
今日をもって、石村舞波とBerryz工房は別離し、新たなる道、未来へと旅立ったのです。
私はその現場にいられただけで幸せでした。
今日。10月2日が、Berryz工房、石村舞波、そして私アンチ人間にとっても最良の日となりますように。
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石村舞波に対して、芸人の命5万人分ですらイコールではない!
今日、そうだと確信しました(芸人といっても、天才の方々を除いた、私を含めたどうしようもないカスネタばっかやる芸人のことです。)
今日、わたくしアンチ人間は東京厚生年金会館にBerryz工房のライブを見に行きました。や団(お笑いトリオ)の本間君と一緒に行きました(5万分の2のカス芸人2人で行きました)。
石村舞波という、Berryz工房のメンバーの卒業式でした。
ライブ会場への道中、や団(お笑いトリオ)の本間君が前日のライブで好成績をおさめ、金の卵(ソニー主催ライブで1番偉いライブ)に昇進した話こと戯言をのたまってました。それにつられて、私も最近出演のお笑いライブで成績が良い、などという戯言をのたまってました。
今思えば、カス芸人がなんて恥ずかしいことを話していたのだろうと反省します。
会場に着くと、たくさんの人がいました。
しかし、いつものハロプロ系卒業公演の殺気立った感じがありませんでした。
みな、笑顔で。これからのライブを楽しもうという、余裕の笑みに満ちてました。(今思えば皆、舞波さんの術中にはまっていたのです)。
1通り、厚生年金会館の周りを回って、Berryz工房ファン(ベリヲタ)の様子を見て、コンビニで清涼飲料水を購入し、チケットを準備して会場内へ入ろうとしました。
そこで、青いサイリウムと用紙を配っている人がいました。
いわゆる、ファン主導の卒業企画の呼びかけです。
私は、事前にネットでその企画の存在は知っていました。なぜ、青なのかは、アンケートで決まったと書いてましたが、私はあまり納得してません。それでも、会場全体での統一感は、Berryz工房に対してわかりやすい形でのアプローチになると思ったので、特に反対の意思は示さず、一応事前にブルーサイリウムを用意してました。
や団(お笑いトリオ)の本間君は素人なので、サイリウムを受け取り用紙に目を通してました。
開演30分前の場内は、あまりにも穏やかでした。
空席ばっかで。静かでした。
我々(アンチ人間とや団の本間君)の隣の席の人は、不知火舞(SNKのキャラクター)の衣装を纏い、背中に菅谷梨沙子さん(小5)へのメッセージを入れた眼鏡の紳士で、臨戦態勢への準備をしておりました。
そして、その紳士が不知火舞を纏っていることがBerryz工房のライブ会場という状況でさえ異常に見えるほど(私は好きですが)、会場内が穏やか、というか普通でした。
開演までの時間、や団の本間君の昨日のライブの話、ソニーライブ銀の卵の話を聞いてましたが、今思えばどうでもいい芸人という名の社会のごみが集まるお笑いライブの話をBerryz工房のライブ会場でするということは大変失礼なことだったと思っております。
話に熱中して、ネタの話になりました。ネタなんてことをしなければ人を集められないのが芸人です。Berryzに遠く及ばないのが芸人です。どうしようもありません。
そんな話をしてないで石村舞波さんのことを考えていれば良かったのです。
・・・
そうです!
なんで、開演前の会場内が比較的静かであったか。
どうして、異常なまでに穏やかな空気であったか。
皆。みんな。みんながみんな。ファンというファン。ヲタというヲタ。全員が全員!
石村舞波との思い出に浸っていたのでしょう。
なるほど。そういうことだったのか。
そういうことだったのです。
我々(アンチ人間とや団の本間君)が異端だったわけです。
場所をわきまえずくっちゃべってた我々、ことカス芸人。
芸人と名乗っていながら、空気もよめず、くだらない会話に終始する。
コンビニの前にたむろっているヤンキー、電車の中で大声で話す馬鹿女子高生。
アンチ人間とや団の本間はそれらと一緒だったのです。
石村舞波さんとの思い出はそれはそれは膨大なものです。
また、それら思い出がどれほどかけがえのないものか、輝いたものか、計り知れません。
『やります』
『やります』
『やります』
『好きな時代は江戸時代です』
『静かにしてください!』
『歴史の本をたくさん読むことです』
数々の石村舞波さんのありがたいお言葉が今の私の脳裏に浮かんできます。
だのに、あのときの開演前の私ときたら。人間としてどうしようもないですね。
やはりカス芸人です。
叩いてください。殴ってください。
サイリウムで・・・
18:30
東京厚生年金会館のデジタル時計が18時半を知らせました。
そのとたん。堰はきりおとされました。
割れんばかりの舞波コール。の嵐。嵐。嵐。
思い出に浸るのはここまで。あとは舞波にロックオン。
舞波コールはやがて秩序だち、「舞波、舞波、舞波」と一定のリズムになりました。
それが5分間くらい続きました(声量は落ちることなく)。
5分間の舞波コール。口で言うのは簡単ですが、これがどれほどのことか。
仮にも芸人という、カス芸人という立場にいる私にとって、5分間己の名前をコールさせ続けることが相当に困難を極めることであることはわかります。
というか一部の勝ち組のなかのさらにカリスマ。そういう人、芸能人でしかまず無理な偉業なのです。
それほどの偉業、舞波コールの嵐、いや津波のような舞波コールと形容したほうが良いか、とにかく舞波コール渦巻くなか照明が落とされてコンサートが開始されました。
コンサートは開始され、コンサートは経過し、コンサートは終わりました。そしてBerryz工房は7人になりました。おしまい。終わり。
……
たった。
たったそれだけのことです。
たったそれだけの1時間半だったのです。
そして。
たったそれだけがどれほどの素晴らしき煌煌と輝いた時間であったか。
たったそれだけを知っているのはあの日、会場にいた人だけです。
まだ私は駄文を続けますが、読むに値しません。
当たり前のことですが、10月2日のBerryz工房のコンサートがどれほど素晴らしいものだったか。どれほど掛け替えのないものを与えてくれたか。
それはどんなに名文章でも、写真でも、DVDでも伝わらないと思います。
舞波がくれた、贅沢な時間。時間はお金では買えません。チケット代だとかそういうことではなく。
石村舞波さんがそこにいて、そこでしゃべって、そこで歌って、そこで踊って。それらを見ること、聞くこと、感じること。そういうことはいつでもできます。
しかし、一緒に過ごした時間。一緒に舞波と過ごした贅沢な時間。これだけは一生手に入らないものなのです。
コンサートにいけなかった人に対しては優越感に浸っているように感じられるかもしれませんが、自慢でも何でもないつもりです。事実をありのまま書いてるつもりです。
それほどまでに、過去のハロプロ系卒業ライブと比べてみても、現場で一緒に過ごしたことがすばらしいこと、と感じたライブは今回のBerryz工房ライブが初めてなんです。感動したのも初めてなのです。
「Berryz工房は、最高です」
この言葉の重み、威厳、神々しさ。
それを知っているのは、私とや団の本間とあの会場にいたそれ以外の人たちだけでしょう。
そして。私は自分の言葉以上に、この言葉を大切にしていく覚悟です。
Berryz工房ありがとう。そして、
Berryz工房は、最高です!
PS,もし、石村舞波さんが抜けた後のBerryz工房が大ブレイクするようなことがあっても、だからといってやめた石村舞波が馬鹿などということにはならないと思います。石村舞波さんは歌もダンスもうまいほうではありませんでした。
勉強が好きな女の子、特に社会が大好きな文系少女なのです。
頭は良くても、Berryz工房という組織の中では劣等生という位置づけをされてきました。下手すると負け組み扱いまでされてました(キッズオーディションという2万5000人規模のオーディションを勝ち残ってきたにもかかわらず)。
そんな石村舞波さんが、己の得意な勉強の道に専念したい。極自然なことだと思います。また、その選択は間違ってないと思います。
そして、新たなる旅たちを前提としての卒業公演で、最後の舞台で、確かに石村舞波は輝いてました。10月2日の東京厚生年金会館に劣等生の石村舞波はいませんでした。
最高の純度を持って、一番最高の状態で、一番最高の舞台で、芸能人生の最後を迎える。
たぶんそれは、石村舞波さん本人にとっても幸福な形であるでしょうし、なにかロック、つんく♂さんいうところの『ロック』なことなのだと思います。
最後まで涙を見せずにクールでいた石村舞波は正直格好良すぎでした。
これも『ロック』なのだと思います。
舞波 is COOL.
ありがとう。石村舞波さん!
For ever 石村舞波!
<ライブレポート>
ライブはとても良かったです。
この一言で片付けたいくらい良かったのです。
内容については、DVDででも確認してください。
でも、あるメンバーについて少しレポートをさせてください。
嗣永桃子(中2)
嗣永桃子。現段階でのハロプロ、否、ティーンズアイドル界最強のアイドル戦士。
この子ほど芸能界で高い志をもってがんばっている娘はいないのではないか?とにかく、色々な場面でがんばり屋さんの桃子ちゃん。
私も、桃子スマイルにやられ桃子握力による握手で骨抜きにされた者ではある。
そんながんばり屋さんの嗣永桃子ちゃん。
きっと石村舞波ちゃんの卒業シーンでもがんばるのかなー、と思ってました。
泣いて、嗚咽でもして、とっても感動のシーンを演出してくれる!
会場にいた多くの方々がそんなシーンを想像して、確信してたのではないのでしょうか?
「桃子は泣く。絶対に泣く。そして指を反らせた形での、それじゃあ拭えないだろうって角度で涙をぬぐう。間違いない」
そう、私はや団(お笑いトリオ)の本間君に言ってました。
結論から言います。
嗣永桃子さんほど、美しい人はいませんでした。
それは容姿ももちろん美しいですし、心、心にいたるまでお美しい少女だったのです。
少しでも、嗣永桃子さんに邪推な考えを持っていた私、また多くのBerryz工房ファンの方々は、己を恥じてください。
桃子さんの心身ともに美しい人だったのです。
確かに泣いてました。
しかしそれは、巨大ビジョンに嗣永桃子さんが映し出されたとき、かろうじてその目に涙が浮かんでいることが確認できる程度で、顔はあの桃子スマイルに満ちてました。
姉妹愛。
石村舞波×嗣永桃子。
2人は姉妹のような関係であったようです(ラジオ談)。
マリア様がみてるでゆうところのスール関係だったのです。
ほかのメンバーが涙を流している中、石村舞波と嗣永桃子は泣いていなかったのです(涙は浮かべていたと思いますが)。
あの。あの嗣永桃子さんは最後に、いってみれば芸能人として空気を詠めば、泣いてしまうのが正解なわけです。
泣いて泣いて泣いて。「舞波やめないでー」とか言って泣いて。
それが正しい卒業公演だと思いますし、そうすればまた嗣永桃子が一番フィーチャーされたかもしれないのに、嗣永桃子さんはそれをしなかったのです。
その光景。
石村舞波×嗣永桃子が笑顔で並んでいるその光景。
私は、この光景こそ、あの日、あの石村舞波卒業公演で一番美しいものなのだと思います。
嗣永桃子はあの日最後まで、石村舞波のために。石村舞波のためだけにすべてを捧げ、そして笑顔で送り出したのです。
これもまた、あの日、あの東京厚生年金会館でしか体感できない感動でした。
最後まで笑顔を絶やさなかった嗣永桃子さん。そんな
嗣永桃子さんは偉大です
